礼拝堂正面礼拝堂正面
 ー礼拝風景ー 
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東中野教会は、1910年(明治43年)に設立されたプロテスタントに属するキリスト教会です。

キリスト教音楽にも力を注ぎ、六角形の会堂と、パイプオルガンの響きは、東中野銀座通りにあって、ここに教会があることを知らせつつ、日々、福音(イエス・キリストの教え)を宣べ伝えております。

クリスマスの讃美歌 「きよしこの夜」はパスカルの「パンセ」の訳者として知られている 由木 康(当教会初代牧師)の訳詞により広く親しまれています。

礼拝堂後方パイプオルガン



鈴木重正牧師              牧師室から

         ― 信仰の復活 イースター ―      

 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。 野ばらの花を一面に咲かせよ。 花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。 砂漠はレバノンの栄光を与えられ カルメルとシャロンの輝きに飾られる。 人々は主の栄光と我らの神の輝き見る。
             ― イザヤ書35章1〜2節 ― 
  主イエスさま復活の福音より遥か昔に、喜びの復活預言がイザヤ書に示されていました。「花、喜び、輝き」、明るい希望の言葉です。イエスさまの弟子たち、初代教会の人々は、昔からの聖なる文書に復活預言の言葉を見い出して、イエスさま復活に示される神のみ旨を深く確信し、信仰の喜び豊かに力強く宣教したのでした。それは、人間があくせく動くのではなく、神が働いてくださることを信じる信仰です。

 雨の多い日本では、地面に草木が生え草花は道端にも見られますが、乾燥地帯である聖書の世界パレスチナは、緑のない荒涼とした地が町や村の外に広がっており、サタンの住む地と恐れられていました。定められた年三のエルサレム宮詣の際、各地に住むユダヤ人は危険な荒れ野を旅しなければなりませんでした。詩編121篇(都に上る歌)「われ山にむかいて目をあぐ、わが助けはいずこよりきたるや」は、その時の不安と信仰を歌ったものです。
イエスさまが生活されたガリラヤ地方は、讃美歌に歌われているように「みどりもふかきわかばの里(讃美歌21 289)」、農耕可能な「約束の地 ―乳と蜜の流れる地」で、大麦・小麦・ぶどうの栽培が行われていましたが、この地域の外は荒れ野、悪霊にとりつかれたゲラサ人の話はこの地でのことです。そのような荒れ野、荒れ地に花が咲くとは、まさに奇跡です。そのような喜ばしいことを、神がなしてくださると信じる信仰です。

荒れ地は、元は豊かであったが荒廃してしまった場所とも考えられます。「国破れて山河あり」、「昔の光いま何処」、バビロン軍に包囲され滅ぼされたエルサレムの有様が思い浮かびます。バビロンを倒し次に世界を支配したペルシャ帝国から総督の地位を与えられ、ユダヤの地に赴き、エルサレム復興のために働いたディアスポラ出身のネヘミヤのことが旧約に記されていますが、エルサレム復興を信じ願ったことはイザヤと同じでした。共に、主なる神がイスラエルを愛し再建してくださるという確信を持っていました。歴史を支配される神への信仰の故に、新しい思いに導かれたネヘミヤは、イザヤと同様に希望の祈りをささげています。

導きを受け、イエス様に同行して奇蹟に与り、共に栄光の日々を歩んだ弟子たちでしたが、自分の力でなし得たと思った自信は、主の十字架の前に脆くも崩れ去り、荒れ野に投げ出されたような彼らでした。しかし、ここから神は彼らを用いて御業を始められたのです。荒れ果てた彼らの心にこそ信仰が芽生えさせられ、やがて花を咲かせ、実りが与えられるようになります。かつてイスラエルが背信の故に滅びに落とされ捕囚の憂き目にあって、本当の信仰に目覚めさせられたように。これこそが復活信仰、死んでも生きる信仰です。
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ。ここに神の御業が始められるからです。
           復活節   牧師 鈴木重正





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